「人間関係にも境界線がある」というと、
何だか冷たいなとか、
自分の殻に閉じこもるんじゃないかとか、
ネガティブなイメージが
あるように思います。
でも私は境界線の存在を知ってから、
あらゆる人間関係において、
これは絶対に全ての人が知っていてほしいと断言するほど
大切な考え方だと思っています。
そして、この境界線の適切な引き方をマスターするプロセスは、
自分を生きるヒントとなる
とても大切なプロセスとも言えます。
そこで今日は、なぜ境界線の存在を知ることが、
人間関係においての必修科目と言い切ってしまえるのか?
このことを知っていただくと、
もしかすると人間関係において、
悩みを解消することへの
ヒントとなるかもしれません。
ということで、
人間関係で知っておきたい境界線の存在
について話してみたいと思います。
最後までお付き合いいただければ、
幸いです。
もくじ
気が利くつもりでいたピッカピカの社会人1年生
大学を卒業した私は、小学校で非常勤講師として
勤務していました。
当時の仕事は担任の補助で、
低学年の担任の先生方の
人手が必要な教科に応じて
そのクラスに入っていました。
とにかく担任の先生方の一日は忙しい。
私のスケジュールは当日になるまで分からないのです。
朝、出勤すると私の一日のスケジュールが把握できるのですが、
子ども達の様子や、時間割の変更によって
スケジュールが変わることもしばしば。
臨機応変な態度が求められます。
ある日も、スケジュール通り1組に行きます。
1組の担任の先生からは、
気になる子どもが何人かいるので、
その子たちを気にかけてほしいと
言われていました。
以前、言われていたように、
良かれと思って、
私は気になる子ども達をさりげなくサポートします。
1組の授業が終わった休み時間、
M先生に話しかけられます。
今日は雰囲気違うな・・)
他は必要ありません!どうして私に聞かないのです!?
短い会話でしたが、私は今まで自分は気が利くと思っていたので
今日のM先生はそう思っていないと感じて、
その場で泣きそうになってしまいました。
境界線は人間関係の基本という教え
今思えば、本当に些細なことなのですが、
大ショックを受けたのです。
そこで、大学時代の心理学のゼミの教授の元に
愚痴を言いに行きました。
違ったみたいです。
そう思われたに違いないです。
聞いてみたの?
確認してるの?
思われたら嫌じゃないですか。
大学に来るときにさ、どこからがK大学か分かった?
分かりますよ。
相変わらず文系の学部は古い建物のままですが。
美和子さんの内と外とを分けるものは?
外の世界と私たちは分けられてるよね。
じゃあ、私と美和子さんは違うものだよね?
見た目は花の盛りですから。
境界線の内と外、はっきりしているよね。
これがあいまいになっちゃうんだよ。
それこそ、私と他人で、はっきりしてるでしょ!
さっきの美和子さんみたいに、相手に聞いてもいないのに
勝手に予想して動いてるんだよねぇ。
何だか難しいですね。
聞けばいいだけ。人間関係の基本だから。
少人数指導担当になってピンチに
T教授にやってみると言ったものの
人に直接聞くというのは、
何だか失礼な気がするし、
気が利く私と思われたい気持ちの方が
大きかったので、
T教授との話は頭の片隅に追いやってしまいました。
そして、小学校教員になって数年が経った頃、
私はクラス担任以外の仕事である
少人数指導担当となりました。
複数の学年を担当し、
先生方の必要に応じて、
一斉授業を主で担当したり、
1クラスを2つに分けた内の
1グループを受け持って授業をしたりしました。
上記のような形態ですと、
まぁ調整が大変なこと。
話しやすい先生とは、
コミュニケーションがとれるのですが、
話しかけにくい先生には
遠巻きにしてしまいます。
ある日、とうとう教頭先生から呼び出されてしまいます。
ちゃんと調整してる?
美和子先生が聞きにくるの、ちょっと遅く感じているみたいなんだよね。
鬼瓦先生の学年、気にかけてみてね。
と、ちゃんと調整していると答えたものの、
実は私は、鬼瓦先生の雰囲気が怖くて
つい後回しにしていまっていたのです。
くっそーー、でも怖い)
そこで私は、心理カウンセラーをしている
海のように心の広い海先輩のもとへ泣きついたのです。
調整役って難し過ぎます!話しかけるなオーラ出してるのに
話しかけるって、どうしたらいいのでしょう?
いつも不機嫌な感じで、めっちゃ怖いんですから。
外見だけで、そんな風に思われてるなんて。
話しかけやすいでしょうが。
それは鬼瓦先生の領域ね。その境界線を超えてあなたが変えることはできないわ。
相手の反応はコントロールできない
嫌じゃないですか?
思った答えが返ってこないとヘコみます。
返ってこなくてもいいじゃない。
ここには、きっちり境界線があるはずなのよ。
自分と他人には見えない境界線が存在していると意識するといいわ。
後日、いつもは怖くて後回しにしてしまうのですが、
今回は最初に鬼瓦先生に話しかけてみました。
「どう答えるかは相手の領域。」と念じながら。
すると、鬼瓦先生は
「あ、悪いけど、10分後に来てくれる?
終業前には終わらせてさっさと帰りましょう。」
私はめちゃくちゃ意を決して話しかけたのに、
何だか拍子抜けしてしまいました。
まとめ
さて、いかがでしたでしょうか?
そもそも境界線とは、
境目をはっきりさせることで
もめ事が起きないようにするものです。
しかし、考えや感情などは
見えないがゆえに、
境目がはっきりしない。
そして、時と場合によって変わる可能性もある
厄介なものです。
だからこそ、相手の領域のことまで
自分の領域と思ったり、
逆に自分の領域のことなのに、
相手に踏み込ませたり。
そんな性質を持った見えない境界線だからこそ、
まずはその存在を知り、意識してみる。
私は境界線を意識するようになって、
悩んでいたことが、
「あれ、これって私がどうにもできないことじゃ?」
「なんだ、私の考え過ぎだったな。」
というような、気づきが生まれてきました。
そうすると、自分は自分、人は人、
割り切ることができるようになって、
心が軽くなったのです。
心が軽くなると、周りの目が気にならず、
自分が“本当にやりたい”と思うことへの
行動が早くなったような気がします。
境界線の存在を知ったその先に
新たな発見があるかもしれません。
何かの参考にしてもらえたら幸いです。
最後までお読みいただきまして、
ありがとうございました。